空が好きだ。
正確に言えば宇宙が好きだ。

青い空の向こうに無限に広がる、今なお広がりつづける壮大な浪漫。


    空想科学少年    


あれは初等学校何年生のときだったか。

 新学期、新しく担任になった科学の教師が『ろけっと』なるもののミニチュア版を持ってきて見せてくれた。
『せんせー、これ何? 飛行機?』

 そのころはまだ『宇宙』という言葉があまり一般的ではなかったし、 まして『ロケット』なんて僕たち子供が知っているはずもなかった。 宇宙開発はもう始まっていたころだから、きっと他国に情報が漏れてはイカンと言語統制か何か敷かれていたんだと思う。 何故どうして『ろけっと』のミニチュアなど持っていたのかは知らないけど、 ということはあの教師はそうとうヤバイ事をしていたのではないだろうか。 いくら子供相手でも…いや、たぶん子供相手ならまあ大丈夫だろう、と踏んでいたんだ、彼は。
 だけどそんな彼の予想を見事にぶち破ってしまった悪ガキがいたんだった、それも二人。

 …つまり、僕とリュウ。

   ☆

 僕とリュウは何というかリュウの破天荒な行動に比較的真面目な僕が引きずられていたというか、 でも僕もそれなりにけっこう破天荒だった気もするような、まぁつまりはいわゆる悪ガキコンビだった。 自分で言うのも何だけど一般的な悪ガキのイメージからは程遠いことに勉強がわりと、 むしろかなり出来て(そのせいで物凄くタチの悪いお子様だった)一番好きな科目は揃って科学、という二人が 『ろけっと』なる未知の物体に興味を示さないはずはなく、哀れ科学教師は三日三晩の質問攻めに遭い四日目の早朝とうとう陥落し (一部大袈裟な表現が含まれています)、僕たちは彼に『ぺっとぼとるろけっと』なるものの存在と作り方を教えてもらった。
 作り方を知っていたなんてやはり彼は只者ではなかったのだ。 きっと政府の研究所から機密文書を持って逃げ出し身分を隠すため初等学校の科学教師に化けていたに違いない。
 それはそれとして、
 とにかく僕とリュウは嬉々としてそれを作ってみることにした。 材料はその辺にいくらでも転がっている飲み物のボトルと、科学室にいくらでも転がっているゴム栓と 体育倉庫にいくらでも転がっている空気入れ、燃料は水、というお手軽さのため、 教わったその日に僕たちは発射実験を授業全サボリで挙行した。

 ボトルが水しぶきを吹きながら空へと舞い上がっていったときの感動はいまでも覚えている。

 角度が悪かったせいで水しぶきを吹きながら職員室へと突っ込んでいったときの焦りもよく覚えている。しこたま怒られた。

   ☆

 そうしてその時のボトルを何とか回収し「感動をありがとう」とでも言わんばかりに(主としてリュウが)崇め奉りつつ、 精神年齢はほとんどその時のままで、僕たちは上級学校へそして大学へと進んだ。 何年も前の夏の終わりに初めて触れた『宇宙』への憧れは変わらずに抱いて。

   ☆
「なぁ、テン」
「何?」
 テンとはつまり僕。正式名称は『纏星』漢字を書くのが面倒なのでもっぱら『テンセイ』で通している、全然関係ない。 ちなみにリュウの本名は『流輝(ルコウ)』、呼び名の『リュウ』は僕がその昔読み間違えたことに由来する。恥ずかしい。
「やっぱさあ、飛行機部隊に配属されたら、飛行機乗れるんだよな」
 僕らが大学生になった半年後くらいから僕らの国は戦争を始めていた。もうかれこれ一年になろうか。
「そりゃあ、飛行機部隊が潜水艦乗っててどうするんだって感じだし」
「だよな。…空飛べるんなら、戦争行くのもいいなあ」
「バカ。死ぬよ」
「冗談に決まってるだろ。俺は毎日が退屈で仕方ないんだよ」
 授業がほとんど無くなり、真面目に自習をする気も失せてしまってから三ヶ月は経とうか。  生徒達はみんな、実家に帰ったか、寮の部屋でぐたぐたと暮らしているか(僕とリュウのように)、あるいは、
「先輩たちも、もう何人残ってるんだろうな。…次、俺たちだよな」
 あるいは、戦争に行ったか。
 リュウの言葉は誰もがみな胸にしまいこんで忘れたふりをしている事だった。
「…まあ、ラジオでもうじき終わりそうだ、みたいな事言ってたし、ひょっとしたら大じょ」
 ばっつん!といつ聞いてもすごいノイズ音をたてて部屋のスピーカーが喋り始めて、僕の言葉を遮った。 寮に残っている二年生は全員講堂に集まってください、重要な連絡があります。
 僕とリュウは思わず顔を見合わせてしまう。リュウの顔は青かった。僕なんて恐らく青を通り越して白かったに違いない。

 しかし幸いなことに、直接死の危険がある部隊への配属ではなかった。銃器やら飛行機やらを組み立てる工場部隊だった。 リュウはもう水を得た魚のごとき働きぶりで、上官は感心するを通り越して半ば呆れていたのではなかろうか。 僕ももちろん真面目に熱心に働いていたけれど、リュウの前には霞んでしまった。と思う。

 戦場に確かに僕らはいたはずなのだが、信じられないほどに平和に半年ほどが過ぎた。

   ☆

「流輝、ちょっと」
「あ、はい」
 ある日の作業中、リュウが突然上官に呼ばれた。 僕が呼ばれたというならいざ知らず、よくお褒めの言葉なぞ頂いちゃっているリュウだったから、 僕も周りもあまり気にならなかった、けれど、戻ってきたときのリュウの様子は少し気になった。
「何だって?」
「ああ、…いや、後で言うわ」
 あのリュウがこのありさまでは誰だって気になるだろう。 気になったあまりトンカチで自分の指を打ってしまった僕のことを誰も責められないはずだ。痛い。

「なあ、テン」
「何?」
「やっぱさあ、飛行機部隊に配属されたら、飛行機乗るんだよな」
「そうだね」
「俺さあ、飛行機乗れるなら戦争行くのもいいかな、とか言ったよな」
「言ってたね」
「テンさあ、死ぬよって言ってたよな、その時」
「言ったかもしれない」
 僕はもうある程度リュウの次の言葉を予測していた。 その上でそれが外れることを心の底からありとあらゆるものに祈っていた。 だけど神も仏もその他もろもろ祈ったものも、どこにもいなかった。

「俺、明日から飛行機部隊だって」

「明日?」
「明日」
「早過ぎない?」
「早過ぎる」
「もうちょっと待ってくれって頼めば」
「頼んだけど無理だったんだよ」
「……………心の準備が」
「バカ。何でテンが心の準備するんだよ」
「それもそうか」

 その夜は一緒に寝、るのは気持ち悪いのでやめておき、その代わりにものすごく沢山の話をした。 幼年学校時代に仕掛けた数限りないイタズラ、研究所から逃げてきた(のかもしれない)科学の教師、 職員室に突っ込んだ『ぺっとぼとるろけっと』、僕の、そしてリュウの夢『宇宙』。
 その夜は星が輝いていた。物凄く綺麗だったことを覚えている。

   ☆

 リュウがいなくても、そして他の部隊からもいなくなった結果人数が四分の三近くに減っても、 工場は何も変わらず動いていた。ほんの少し作業能率は落ちたが。
 そしてそのころから、不穏な噂が聞こえてくるようになった。負けそうだ、とか、どこかで部隊がまるまる一つやられた、とか、 飛行機部隊は命がけの危険な作戦に出るようになったらしい―――とか。

「テンいるか?」
 ものすごく久しぶりにリュウが訪ねてきた。
「いるよ。どうしたの」
「…飛行機乗ることになってさ」
「もう操縦できるようになったの!」
「いや、なんていうか…操縦できるできないはあんまり関係ないんだよな」
 僕はどうも勘が鋭すぎて困る。耳を塞ぎたかったけれどあんまりリュウに失礼だから止めておいた。 代わりに、いつかのように思いつく限りのありとあらゆるものに祈った。 けれどもやっぱり、願いを聞き届けてくれたものは無かった。
「…まあでも、空を飛ぶのは俺の長年の夢だから実現できてよかったよ。悪いなテン、一足お先に俺は大空へと飛び立つぜ」
 もう僕は多分何にも祈らないんじゃないだろうか。
「宇宙は?」
「…宇宙?」
「リュウと僕の夢。宇宙に行くこと」
「……宇宙なんていつ行けるか判んないだろ」
「でも! …あの時からずっと、二人で目指してたじゃないか!」
 『ろけっと』を初めて見た、あの時から。
「いいだろ、別に! …俺はもう、ロケットにも宇宙にも興味無いんだよ!」
「だったら…だったらさっさと飛行機でも潜水艦でも乗ってどっか行けばいいだろ! いつか僕一人で宇宙に行ってやるからな、指でもくわえて見てろよ!」
「あーそうするよ! じゃあな、もう会うことも無いだろうけどな!」
「そうだろうね! 二度と帰ってくんなよ!」



 リュウは芝居がヘタだ。目から水が出ている。と言うときっと「目玉が汗をかいてるんだ!」とか言うから言わないでおく。
 それにくらべて僕は我ながら芝居が上手い。役者にでもなろうか。

   ☆

 あのとき僕のいる部隊が働いている工場の中からかなりの人数が飛行機部隊に引き抜かれていた、 そのかなりの人数が昨日から今日にかけて一斉に「旅立って」いった。彼らが乗った飛行機を組み立てたのはもちろん、僕らだ。 …こんなに悲しい仕事もない。どんなに待っても、僕らが作った飛行機も乗っている人間も決して帰ってこないのだ。 油やら何やらで汚れて黒くなった作業着を着た仲間たちの群れはまるで喪服の軍団のようだった。

   ☆

 それから二週間ばかり過ぎたある日、僕たちの部隊の中心人物的な奴 (リュウはなんというか、格好良く言えば参謀みたいな感じだった。まぁ要するに一番ずる賢かったわけだ)だったと思う。
『リュウの葬式をしよう』とか言い出したのは。
 葬式と言うよりはお別れ会というような雰囲気だけど(死体が無いし、だいたい死んだのかどうかも本当は分からないから) 誰がどこから仕入れたものか山のような酒酒酒。ひょっとしたらただの消毒用アルコールとかが混ざっていたのかもしれない、 いろいろな物資はもうだいぶ足りなくなっていたはずだから。
 僕はあまり酒は飲めないのだが、
「リュウってやな奴だったよなあ!」
 その場の雰囲気に飲まれて酒にも呑まれてひっくり返っていた。 それにしても普通「いい奴だったよなあ」とか言うもんじゃないのか。
「だってよお、俺が大事に大事に持ってた彼女の写真、コピーしてばらまかれたくなかったら食い物よこせって脅すんだぜ!」
「ばらまかれてろ!」
「自慢してんのか!」
「自慢なんかしてねえよ、あーそういえば結局返してもらってない!俺の写真ー!」
 はたから見るとただの酒盛りだ。上官が見たら何と言うか。
「でもやっぱり、リュウっていいやつだったよな」
 誰かがしみじみと言う。場が静かになる。
「うん、いいやつだった」
「いつも元気でさあ」
「うんうん」
「誰も思いつかないようなことするしな」
「うんうん」
「むかつくことに勉強も出来るんだよな」
「うんうん」
「俺リュウのおかげで留年まぬがれた事あるぜ」
「うんうん」
「俺はカンペ作ってもらったことがある」
「使ったのかそれを」
「大嘘ばっか書いてあってまるで使えなかった」
「天罰だ」
「悪巧みも天下一品でな」
「うんうん」
「歌は滅茶苦茶ヘタなんだよな」
「そうなのか?」
「聞いたら最後生きては帰れない魔の殺人ボイス」
「何でお前生きてるんだよ」
「運が良かったから」
「何か訳の分からんもの収集してたなそういえば」
「うんうん」
「サビサビのネジとかな」
「プロペラの欠けたやつとかな」
「うんうん」
「なあテン、お前もなんか喋れよ、幼年学校から一緒だったんだろ」

 僕は喋れなかった。酒のせいではなくて、逆さまに見える開け放った工場の扉の向こうから目が離せなかった。
 誰か来る。見回りの上官? 違う、もっとなんかこう、よーく見知っているような、

「リュウ!」

 飛び起きた僕を皆が見た。続いて皆が僕の見ているほうを見た。誰か歩いてくるのを、皆が見た。
 誰かはのんびりと歩いてきて、工場の入り口で足を止めた。 その場にいる全員がその誰かを信じられないものを見るような目で穴が空きそうなくらい注視した。

 誰かはそっと右手を上げた。

「…よぉ、久しぶり」

   ☆

 喜びやら照れくささやら俺たちバカみたいじゃないかとかそういう気分を隠すために酒瓶が空になるスピードはかなりアップし、 全員すっかり酔いつぶれてしまった。これは明日地獄だろうきっと。
「リュウの他に行った人たちは?」
「皆帰ってきてる。…笑い話だよなあ、『覚悟しておけよ』とか言うから人がせっかく覚悟しといたのに 行ってみたら別に呼んでないし必要ないから帰っていいです、なんて」
「しかも帰りの汽車の燃料も無かったと」
「哀れ俺たちはてくてく歩いて帰ってきましたよ。これこそ骨折り損のくたびれもうけだよな全く。 …なあテン、ひさしぶりに星見ようぜ」

 雲ひとつ無いきれいな夜空だった。星がよく見える。時おり吹く風がほてった頬に気持ちいい。
「帰ってくるときにさ」
「うん」
「昼は暑くて歩いてられないから夜歩いてたんだけどさ、流れ星がすごい幾つも見えるんだよ」
「うん」
「流れ星ってただの岩とか氷の塊が最期に光り輝いてるんだってな」
「うん」
「間近で見てみたいよな」
「やっぱり嘘だったんだ」
「何が」
「『俺はもう、ロケットにも宇宙にも興味無いんだよ!』」
「何だ、ばれてたのか」
「いやだって言いながら泣いてたじゃんリュウ」
「泣いてない! 目玉が汗をかいてたんだ!」
 予想通り。
「へえー」
「まあそれはもう過ぎたことだから忘れようぜ。今はあれだ、流れ星が燃え尽きるところを間近で見たいよなって話だ」
「見てみたいね、ぜひ」
「だろ。またふたりで目指そうぜ、宇宙」


見上げた空で星がふたつ、光り輝きながら夜空を駆けた。



…ええっと…なんていうか…うん…
(初稿ではもっともっとギムナジウム感全開だった覚えが)

この話を書くとき一番時間かかったのが「纏星」と「流輝」という名前を考えるところでした(あほ)
二人の名前を組み合わせると「輝纏流星」⇒「かがやきまといながれるほし」と言うことでふたりあわせて彗星のイメージです (※このような四字熟語が存在するわけではありません決して)


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