Halcyon Days       


ある小春日和の日、ある陽だまりの道を、一人の少女と一人の少年が連れ立って歩いていた。少女は長い黒髪を風に揺らし、少年は双眼鏡を一つ首から提げている。
少女は名を紗鵺。少年の名を明という。
「サヤさん」
「何?」
「いえ、特に何でもないんですけど。ふとサヤさんの小さいときのこととか訊いてみたくなって」
ときどき、この同い年の少年は突拍子もない質問をかましてくることがあって面白い。と思う。
「別にいいけど…ただじゃ嫌」
「えっ、僕貧乏なんですが」
「そんな事は知ってるわよ」
「うわ傷ついたー」
些細な会話。こういう会話が出来る相手が居るっていうのは物凄くいいことだと思う。
「じゃあ、アキラの小さいときのこと教えてくれたら」
「僕のですか?おもしろくないですよ」
「私のだっておもしろかないわよ。いいから、教えて。聞いてみたい」


あのころは日常のすべてが陽だまりのようで、
そこには無邪気な自分がいて、
温もりは確かに私のすべてを包み込んでいたのに。


「僕の小さいころですか…うーん、覚えてる範囲だと、毎日やたら遊びまくってたような気がしますね」
「そりゃ、子供だからね」
「あとそうですねー、聞いた話だとやたらレンズ物に興味しめしてたみたいですけど。カメラとか」
「じゃあ、双眼鏡小僧になる素質は十分だったわけね」
笑いながらそう言うと、年齢よりすこし子供に見える顔を精一杯ゆがめて文句を言い出す。
「小僧ってなんですか小僧って」
「だって小僧じゃない?」
「だって僕もう十五歳ですよ、十五歳の男子つかまえて小僧呼ばわりする人がどこの世界にいるんですか」
「世界は広いの、どこかにいるでしょ」
「………。まあ、そうですね」
「でしょ?…じゃあ、私の小さいときの話も、約束どおり教えてあげる」


冬の最中、暖炉の灯りの元で本を読みふけっていたとき、ゆらめく火影の元で文字を追っていたとき。
そのとき世界は確かに自らの手の内にあり、憧れは何処へなりとも自分を運んで行ってくれたのに。


「私は本ばっかり読んでる子供だったって」
「今とあんまり変わらないですね」
「アキラだって変わらないじゃない。とにかく活字と見れば何にでも食らいついてたみたい」
「新聞とかマンガとかもですか?」
「そうみたい。日がな一日モトコさんの書斎にこもって出てこない日もあったって」
モトコさん、と言うのは、紗鵺の母親…正確に言えば、母親代わりの人、だ。
「あの部屋に一日中…僕的には身の毛もよだつ光景なんですけど」
「アキラ本嫌いだもんね」
「でも、こうしてあらためて聞くと、二人とも今とやってることが大して違わないですね」
「変化のない人生?」
「なんかそういうと嫌です」


一見すると変わっていないようでも、
そのままでは居られないのは如何してだろう。
心は少しづつ変わっていくから、
変化のない人生なんて有り得ないんだ。


「よく言うよね、子供の頃はまるで宝石のような時間だったって」
「よく言いますか?それ」
「いいの。言わなくはないから。…『宝石のような』時間。本当にそうだったと思う?」
「どうですかね…。僕は覚えてる範囲ではそうなんじゃないかなーと思いますけど。サヤさんは?」
「私?…ここに来てからは、そうかもね」


紗鵺は晴れた日に空を見上げるのが好きだ。
小さな綿雲が二三浮かんでいるだけの空。
望都子に出会ったあの日の空。


「でも、宝石のような時間って、どんな時間かしら」
「輝いてる時間…」
「そのまんまね」
「そのまんまです」


明は雨の日に空を見上げるのが好きだ。
はらはらと霧雨が舞い落ちてくる空。
紗鵺に出会ったあの日の空。


「じゃあ子供はみんな幸せなんですかね、時間が輝いてるなら」
「どうだろうね?…そのとき不幸だと思ってても、あとあと思いかえすとああやっぱあのころはよかった、ってあるよね」
「ありますね」
「だからさ、分からないんじゃない」
「それは確かに」
「アキラだって最初に昔の私の話聞いたときは絶対一瞬ぐらい『なんてかわいそうな境遇の子だったんだろ』と思ったでしょ」
「その可能性は一概に否定できないですね」
「はっきりそうだと言いなさい」
「すいません思いました」
「でしょ?私だって今考えると自分で自分をかわいそーな子だったと思うもの」
「そうなんですか…って、あの、それは」


幸せだったかどうかなんて、
結局は自分にしか判らないんだから、
自分だけでも覚えておこうか。


ある小春日和の日、ある陽だまりの道を、一人の紗鵺と一人の明が連れ立って歩いていく。
風が穏やかに二人の間を吹き抜けていった。


子どものころの、『Halcyon Days』。


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