夢の狭間で、彼は   


今日も自分の泣き声で目がさめた。
悲しい夢を見た気がするのだけれど、まったく思い出せない。
でもとてつもなく悲しくて泣く。泣いて目がさめる。
ここのところ、いつもそうだ。

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「ユキ?」
「え、あ、何?」
「何か呆けてたけど…どうかしたの?」
「ううん、ただ一瞬なにか忘れてるような気がして気になっただけ」
何を忘れているのか は 判らなかった。

たぶんきっと、最期まで。

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「なーんか、最近寝た気がしないんだよね」
なんでだかここのところずっと寝不足、と、由希は友人にぼやいた。
「どうして?勉強のし過ぎ?」
「んなわけないじゃん…夢見が悪いっていうのか、
なんかよく眠れなかった時みたいなの、眠ってるはずなのに」
毎朝自分の泣き声で目がさめることは黙っておいた。言ってもどうにもならないと分かっていたし、何故かなんとなく知られたくなかった。

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「ああ、ユキ、おはよう」
「おはよ。今日も早いね」
「することないからね、他に。…今日は、なにする?」
気が付くといつも、わたしはここにいる。どこか大きな建物の中庭なのか、四方を白い建造物に囲まれた植物園。この世のものとは思えないほど美しいそこで、わたしはひとりの少年と出会った。
「どうしようか…スバルは、なんかしたい事ある?」
「何でもいいの?」
「まぁ…出来る範囲のことなら」
この悪戯っ気がいまだに抜けきらない同い年の少年は、ときどきとんでもないことをやりたがるのだ。この四方の建物の屋上からバンジージャンプをこころみてみたり、宇宙に行きたいと言い出してみたり。
「じゃあ」
「じゃあ?」
にゅっ、と顔が目の前につき出てきて少し驚いた。まったくいつも寿命を縮ませる。
「…何よ」
「ちゅー。ほっぺでいいから」
「ふざけてんの?」
「ふざけてないよ、出来る範囲のことならしてくれるって言ったじゃん」
「…。本気で言ってる?」

少し幼さの残る顔が、一瞬悲しげにゆがんだ、ような気がした。

「まさか。冗談、じょうだーん」

そう…あくまでも軽口をよそおって…言う彼の瞳が今にも泣き出しそうに笑った顔の中で浮いていて、とても悪いことをしてしまったような気がして、

わたしは、

 +++

「…思い出した」
最近ずっとそうだったように今朝も自分の泣き声で目がさめて、けれど今日はいつもと少し違うところがあった。夢の内容を覚えていたことと、
「すばるだ…」

すばる。プレアデス星団の事では決してなく、由希の幼なじみの少年の名前、だ。
小さな頃近所で一番の仲良しだった、
幼児がよくやる『おおきくなったらけっこんしようね』なんて口約束をしてた、
幼稚園のとき遠くへ引っ越した、
『また絶対あそぼうねー!』と言って別れた、

そしてそれきりだった、すばるだ。

幼なじみに限らず、離れ離れになった幼い友人関係なんて概してそんなもので、由希も今の今まですばるのことなんて気にしてはいなかった。
むしろ忘れていたと言っても嘘にはならないかもしれない。

そんなすばるが、何故今になって夢に出てくるのか。
それも毎晩、あんなにリアルな夢に。


「ねぇ母さん、すばるの連絡先、判る?」
「すばるって…幼稚園の時由希が仲良しだった昴君?」
「そう、そのすばる」
「昴君の家ね、また引っ越したらしいのよ。去年年賀状が宛先不明で帰ってきたの」
「え」
「だから連絡取れないのよね…ところで、どうしたの?突然」
「…ううん、ちょっと夢見たから」

そう、あれは夢、ただの夢。なのにどうしてこんなにスバルが…現実の世界の「すばる」が気になるのか、由希には解らなかった。

 +++

「…スバル?」
「うん?」
「…スバルは、すばるだったんだね」

昔仲良しだった、
幼稚園のとき遠くへ引っ越した、
そんなことは全部省いて、要点だけを簡潔に聞いた。
そのせいで何がなんだかよくわからない質問になってしまったけれど、何が訊きたいのか彼には伝わったようだった。

「…そうだよ。やっと気付いたね」
「どうして、黙ってたの」
「おもしろかったから」
「…怒るよ?」
「冗談だよ、じょうだーん。…ゆきが忘れてるみたいだったから、別にいまさら思い出させなくてもいいかなって思ったんだ」
「……引っ越したの?」
「ああ、うん…そう、だよ」
「何で教えてくれなかったの?」
「…うっかり、ね。うっかり葉書を出すの忘れちゃっただけだよ」
「…じゃあ、今教えて。久しぶりに会いに行くから」
「…会いに来るの?…それは…」

 +++

やめたほうがいいよ。
すばるの口がそう動くのが見えたけど、聞き返す前に目がさめてしまった。
「どうして…?」
嫌な予感は疑問と一緒に、とどまることを知らず溢れ出てきた。
どうして由希はいつもきちんとした服を着てるのにすばるはパジャマなのか、とか、あの花が咲き乱れる庭を囲む建物はひょっとしたら病院じゃないのか、とか、そういう一つ一つはどうという事もない疑問が、一つ一つ絡み合って嫌な仮説をたてる。
あの夢が何故悲しいのか、その理由が、次第に。

由希は図書館に行き、一日かけて新聞記事をあたった。

 +++

「すばる、ごめん」
「何が?」
「調べたの。図書館行って、年賀状が帰ってきた年より後で、最後に年賀状が来た年より最近の、すばるが引っ越した街の新聞」
「………。やっぱり、ゆきは賢いね」
「行ってもいい?すばるのところ」
「…。いいよ。いつでも来なよ。歓迎はたぶんできないけど」

 +++

どこか大きな建物の中庭なのか、四方を白い建造物に囲まれた植物園。この世のものとは思えないほど美しいそこに、夢の中とほとんど同じそこに、由希は立っていた。
違うところと言ったら、四方ではなく三方を囲まれていて、中庭じゃなくて玄関口だったことくらいだ。ついでに言うと植物園でもなかったけれど。
「お待たせしました。…こちらです」
白いワンピースに独特の形の帽子。誰が見てもどんな職業に就いているか判る女性に案内されて、由希は白い無機質な廊下を進んだ。

この先に、すばるがいる。


「どうぞ」
案内されたそこは小さな個室だった。真っ白な壁と天井とカーテン。訳のわからない機械やら何本ものチューブやらに囲まれた真ん中に真っ白なベッドが一脚置かれていて、

 +++

「事故だったんだ」
そう、すばるは言った。
「向こうにもこっちにも何の落ち度もなかった。ただ道が凍ってて、チェーンを巻いたはずの向こうのタイヤが何故か滑ってこっちの車線に突っ込んできちゃった、それだけの不幸な事故」
「…でも、おじさんもおばさんも、亡くなった」
由希が調べた、二年程前の小さな地方面の記事。そこにははっきりと、仔細に、事故のことが記されていた。
運転していた父親と助手席の母親は即死、後部座席の息子の昴君も意識不明の重体………
「ゆきに会いたいと思ったんだ。それまで全然気になんかしてなかった…もしかしたら忘れてたのに、現実の自分がもう目を覚ますことはないんだな、って変な話だけど分かったとき、無性にゆきに逢いたくなった」
「…だから、夢の中に来た、っていうの?そんな現実離れした話…」
すっ、と伸びてきたすばるの指が、由希の頬をぬぐった。
「ゆき、この夢見たあと、いつも泣いて目がさめた?」
「…うん」
「ゆきはどこかで感じてたんだ。もう現実では逢えないこと。僕の夢と繋がった、夢のなかで」
夢でしか逢えないから、夢からさめるとき泣く。すばるの中ではそういう理屈になっているらしかった。
「…会いに行くよ。明日にでも、すばるのところに」
「待ってるよ」

 +++

そこに、すばるがいた。真っ白なベッドの上で、何本ものチューブに繋がれて静かに眠っていた。
「…もう、目を覚ますことは無いんですか?」
入り口のあたりに静かに控えていた、ここまで案内してくれた看護師の女性に問いかける。彼女は静かに、丁寧に答えてくれた。
「…全くのゼロとは言えません。けれど…」
けれど、何か。もう突っ込む気にもなれなかった。全くのゼロではない、と言うのも恐らくは落胆させないための嘘だろう。
由希にとっては、むしろ本当のことをきっぱりと言ってくれた方がありがたかった。
「…すばる、来たよ。由希だよ」
ベッドにそっと近づいて、頬にそっと触れた。こんなに暖かいのに、生きているのに。
「ねぇ、すばる…待ってるって言ったじゃん」
堪えきれずに涙があふれてきた。せめてこぼすまいと必至に頑張る。
「ねぇ、すばる…すばるってば…」

 +++

―――ゆき。
もう夢の中でも逢えなくなっちゃうかも知れないけど、君の為にひとつ、頑張って試してみようと思ってることがあるんだ。
驚かさなくちゃおもしろくないから、ゆきがこっちに来るまで秘密だよ。
由希、楽しみにしててね――…

 +++

指が動いた気がした。
「…すばる…?」
また、ぴくりと指先が動く。今度は気のせいでもなんでもなかった。
「…あのう、何か指が」

大騒ぎになった。といっても騒いでいたのは看護師の彼女だけだったけれど。
その人に「とりあえず、彼の様子を見ててください!」と言われた、と思ったら彼女は恐らく医師を呼ぶためだろう飛び出して行き、由希とすばるだけが取り残された。
「すばる…わたしが来たの、判ったの?」
由希の問い掛けに答えるように、すばるの瞼がうっすらと開いた。

 +++

「…ゆき…?」
目を薄く、まぶしそうに開いて、でもしっかりと由希の方を見つめて、すばるはつぶやいた。
「そうだよ、由希だよ。来たよ」
「…ほんとに来てくれたんだ…」
少しかすれた声で言って、少し照れたような笑いを浮かべる。それからゆっくりと手を上げた。
「…ありがと、由希」
いつかの夢と同じように、すばるの指が由希の頬をぬぐう。
「あ…あれ、変なの、さっきまで頑張ってたのに」
真っ赤になってとにかく涙を拭おうとする由希の様子に小さく笑ってから、すばるはまた口を開いた。
「…今日は、なにする?」
「なに、って…」
ふと口をつぐむ。いつかの夢と同じ光景であることに気付いて、
「…すばるは、なんかしたい事ある?」
「何でもいいの?」
「…うん。出来る範囲なら」

「じゃあ」
「…じゃあ?」

すばるの、すっかり細くなった指が、


「ちゅー。…できれば、こっちがいいな」

かさついた唇を指した。



「……………いいよ」

 +++

そのあとすぐ、医師を連れた看護師が戻ってくるよりも早く、すばるは目を閉じた。

 +++

もうすばるの夢を見ることはない。
もう泣いて目がさめることもない。
涙なんて枯れ果ててしまったかもしれない。

すばるの見ている夢が、幸せなものであればいい。



百人一首をモチーフに書いてみよう、という企画で書いたもの。
「あらざらむこの世のほかの思い出に今ひとたびの逢ふこともがな」[和泉式部]がモチーフ、というか発想の原点になってます。

結末に関して友人間に論争を巻き起こした問題作でもあります。
私としては(自主規制)つもりで書いてたので、(自主規制)と受け取る人もいるのかあ…。と意外な気持ちになりました。
どっちが正解とか言うつもりもないですが。


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