「空にいたる道は
 すぐそこ、
 そう
 貴方のすぐとなり。」

      『ソライロスイッチ』 


 一年前まではそこはただのぼろ家だった。だけど、去年のちょうどいまごろ、怪しい…… いやいや、見知らぬ男がふらふらとあらわれてそこに居ついてしまってから、その家のすべては180゜変わっていったのだ。
 何がいちばん変わったかといったら、その外観。腐れた木材剥き出しの壁はきれいな空色に塗られ、 見事なまでの風穴があいていた屋根は真っ白く塗られて、そして玄関口のど真ん中についた立派な扉の上に、一枚の看板がかかった。

『ソライロスイッチ』
と、でかでかと描かれた看板が。

 ……ようするにお店になったんだと思う。看板を出すからには。でもなに屋なんだかさっぱりわからないし、 それ以前にそこに誰かが入っていくところを見たことがない。唯一、ふらふらとやってきていつのまにやら居つき、ぼろ家を立派なお店に変えたあの男以外は。
 あたしはあのひとが嫌いじゃない。恐くもない。わけわからないとは思うけれども。

 あのひとはあたしにほんとの青空を見せてくれた。
 その話を、しようと思う。

 あたしの名前は、まひる、という。

 +++

 扉につけられたカウベルが、遠慮がちにからからと鳴った。
「へーいらっしゃーい」
 まるで閉店三分前の店のレジ係のようなやる気のない返事は、しかしだれの姿もとらえなかった。カウベルを鳴らした人物が確かにいるはずなのだが。
 いつもならば「めんどくせー」の一言でその場を片付けるところではあるが、今日は何故か妙に気になった。気になってしかたないならやるべきことはひとつしかない。
「あーあ…っと、めんどくせーなー」
 まあ結局めんどくせーと言うのだが、とにかく蒲原は重い重いまるで
『滅多なことがない限り腰をあげてはいかんぞ…』
とでも祖父の遺言にあるのではないかと邪推したくなるくらい普段はあげない腰を持ち上げた。
「へいへい、ピンポンダッシュはごめんだよっと」
 半開きになった扉の後ろをのぞきこむ蒲原。しかしその苦労も虚しくだれの姿も見当たらない。
「ねえ」
「うおう」
 いきなり後ろから声が飛んできて飛びあがる蒲原。
「…オマエかさっきこの扉を半開きにしたのは」
 やや論点のずれた質問だが、声の主はそれにうなずいた。見たところ中学生くらいの少女であった。 栗色の髪をおさげにしたその姿はなかなか万人受けする可愛さがあったが、残念ながら蒲原の守備範囲には六年ばかし足りない。
「なんか用かい」
「どんなお店なのか見にきたの」
 平然と答えて、少女は店のなかにずかずかずかと上がりこんできた。蒲原はあわてて後を追う。
「ちゃんと看板に書いてあるだろーがよ」
 我ながら接客態度は最悪だ。
「あれでわかったら超能力者」
 が、客も負けてはいなかった。
「あのね、」
 少女は蒲原のほうに向き直り、真っ直ぐに彼の顔を見つめた…というより、睨んだ。
「あたしの家はここの隣なの、変なことしてる怪しい店だったらこまるのはウチなの」

 +++

 見た目よりだいぶん重い扉をやっとの思いで半分開くと、付けられたカウベルがからからと鳴る。しばらくして、あの謎の男がぬっと出てきた。
「ねえ」
「うおう」
 なんだか知らないけれど驚いてふりかえった男と目があう。そういえばまともに顔を見るのは初めてだなぁ、と思って、じっくり観察してみることにした。
 ………
 …むさくるしい。
 見ているだけでうんざりするくらいむさくるしい。別に不精髭が生えてたりするわけでもないのに何故かむさくるしい。
「…オマエかさっきこの扉を半開きにしたのは」
 普通『このベルを鳴らしたのは』とか言うでしょうと心の中でしっかりと突っ込みつつもあたしはうなずいた。
「どんなお店なのか見にきたの」
 言いながらお店の中に入っていくと、店主とは正反対にこざっぱりとした内装が目に入る。でもぱっと見たところじゃはっきりなに屋か断言できるものがない。
「ちゃんと看板に書いてあるだろーがよ」
 …接客態度、最低。
『ソライロスイッチ』なんて訳のわからない単語しか書かれていない看板で、本当にどんなお店だかわかると思っているのだろうか。なんだか腹が立ったので言ってやる。
「あれでわかったら超能力者。あのね、」
 振り向いて思い切り睨んでやる。
「あたしの家はここの隣なの、変なことしてる怪しい店だったらこまるのはウチなの」

 +++

「…ほお」
 かわいい顔してずいぶん言ってくれるじゃあないかお嬢さん。
「悪いけどウチは怪しい店じゃあないからこまらないと思うがね」
「じゃあ、なに屋なの?ここ」
「ソライロ屋」
 かわいい顔があからさまに不審の色を浮かべた。
「……………怪しさてんこもり」
「いや、だって、他に言いようがないし」
「ソライロってなによー」
「じゃあ、見てみる?」
 ウチはソライロ屋だ。空色と漢字で書かないところがポイント。ようするにソライロの物しか売ってないわけだ。俺の妙なこだわり。プライド。
「…ふうーん」
「満足?」
「…まあ、なんとなくわかったけど」
「けど?」
「なんで空色のものしか置いてないの」
「オイラのこだわりさね」
 仮にも客相手にこの口調はどうかと自分でも思うのだが、なんだか丁寧語で話す気はしない。まあ向こうも明らかに年上相手に思いっきり溜口だからおあいこだ。
「ところで隣の家の子だっけか」
「そう」
「ここ来たときとなりに挨拶に行ったんだけど…居たっけ」
「来たの?」
「……………居なかったのな」
「たぶん」
 そこでふと気付いた。
「それ気にいったわけ」
 少女はいつの間に手に取ったものか、小鳥をかたどった髪飾り(もちろん空色)をしっかと抱えていた。
「………うん」
「買う?」
「………………うん」
「じゃ名前教えて」
「名前?」
「ウチは会員制」
 しばらく迷ってから、少女はぽつりと言った。
「まひる」

 +++

「ただいまー…」
 あたしが学校から帰ると、家のなかが妙に静かだった。まるで嵐の前触れのように。 制服を着替えて、手を洗って、髪を結びなおすついでに蒲原さんとこで買った髪飾りをつけて、下におりる。リビングに入ると、ソファに母さんが沈鬱な表情ですわりこんでいた。
「あ、おかえりお母さん」
「…まひる…?」
 母さんはここ数日ですっかりやつれた。
 あたしの耳にはふたりとも入れないようにしているけど、あたしは知っている。 昔父さんが伯母さんの家に大きな借りを作っていて、伯母さんの家には子供がいなくて、 それで子供の欲しい伯母さん達はその借りをいまさら持ち出してあたしを養子にさせろとせまっていること。だけどあたしは別に心配してない。
 全く心配じゃないわけじゃないけど、父さんも母さんも絶対にあたしを養子にやったりしないって信じてる。
「ねぇ、お母さん」
「なあに?」
 そのとき電話が鳴った。母さんは顔を強張らせ、あたしに部屋に行くようにいう。
 きっと伯母さんだ。それがわかったので、あたしは大人しく退散することにした。一回自分の部屋に行ってから、ふと蒲原さんとこにでも遊びに行こうかなと思いたってもう一度下におりる。
 リビングの前を通り過ぎたとき、母さんの声がかすかにもれ聞こえてきた。

 よりにもよって一番聞きたくはなかったところが。

「……わかりました……まひるを…宜しくお願いします…」


 目の前が真っ白になるのが自分でわかった。

 +++

 ガラーン!
 と、とんでもない音をたてたものの正体を見にいく間もなく、もの凄い勢いで扉が開いて、何かが転がり込んできた。
「んな何事」
 バコーン!
 と、またしてもとんでもない音をたてて扉が閉まった。あっけにとられて見ると、まひるが肩で息をしながらそこに立っている。
「どうしたのまひるちゃん」
 まひるはうつむいたまま返事もしない。こりゃおかしいぞと近寄っていくと、まひるはふいに顔をあげた。
 ぼろぼろぼろとすごい勢いで流れ落ちる涙。
「………うらはらさぁん………」
「…まひるちゃん?」
「………あたし、………もう、うちに帰れないの…!」
 しぼり出すようにそれだけ言うと、まひるはそこにへたり込んでわんわん泣き出した。
「……………………」
 さんざ迷った末に、蒲原はまひるの横にしゃがみこんだ。
「よしよし」
「う………っ…」
「うおう!」
 まひるは突然がばりと蒲原にしがみついてきた。あいかわらずぐずぐずと泣きべそをかきながら。
「………」
 ぽりぽりと、照れたように頬を掻く蒲原。ややあってから、まひるの頭をそっと撫でてやった。
 まひるが泣き止むまで、ずっと。

 +++

「にゃるほど」
「…帰ったら、伯母さんちに行けって言われるんだよ、きっと」
 真っ赤に泣きはらした目でぐすぐすと喋るまひる。それはそのまま、少女の傷の深さを物語っていた。
「……………。よし、まひるちゃんにイイモノ見せちゃろう」
「いいもの?」
「そ。会員特典」
「………ここ会員制なんじゃなかったの」
「…しまったそういえば客はみんな会員だった」
 今日ここに来てから初めて、まひるが少し笑った。つられたように蒲原もにっと笑みを浮かべる。
「よっしゃついてこい。とっておきのこの店一番の秘密をご覧にいれようじゃあないか」

「なにこれ」
 蒲原が向かった先は屋根裏部屋だった。さして広くないその部屋のど真ん中に、綺麗な空色をした妙なものがどかりと鎮座している。 まひるが楽勝で上に乗れそうな大きさの丸く平べったいそれは、テレビゲームに出てくるようなスイッチを連想させた。
「これはぁ、我がソライロスイッチ究極の品、その名も『ソライロスイッチ』」
 そのまんまだった。
「これが、この店のとっておきなの?」
 あからさまに疑いのまなざしを蒲原に向けてくるまひる。
「まあだまされたと思って押してみ」
 首をかしげつつも、まひるはスイッチに足をかけた。そのまま上に乗ると、スイッチはかちりと音をたてて引っ込む。

 次の瞬間、辺りは一変した。

 +++

 あまりの出来事にまひるは頬をつねってみる。………残念、夢じゃあない。
「な…」
「どう?」
 まひるは今雲の上にいた。
「な、なんで…?」
「そりゃ企業秘密さ。この店一番、とっておきの秘密」
 雲の上だから、当然排気ガスも届かないし、青空を隠す雲は自分の足元にある。邪魔者をすべて取っ払った空は、どこまでも透きとおり美しい。
「きれいだろー」
 まひるはぼんやりと頭上を見上げていた。透きとおった綺麗な青は、ささくれだった心を撫でつけてくれるようである。
「ウチの商売はまひるちゃんみたいにきっついなあと思ってる人にほんとの青空を見せて癒してあげる商売なんだな」
「…ほんとの青空?いつも見てるのは贋物の青空なの?」
「そーゆーわけでもないんだがねぇ。ただ、遮るものが多すぎて本当の姿に見えてないのは確かだ」
「…ふうん…」
「だけど、今日はソライロスイッチ使ったけども、空に至る道はいつでもすぐそこにあるんだな。
 …まひるちゃんのすぐとなりにもきっと」
 まひるはふと蒲原の顔を見た。むさくるしくてたまらなかったはずの顔が変に頼もしく見えてどきりとする。
「…蒲原さん、ありがとう」
「よせやいてれるぜ」
「あたし、伯母さん家行ってもいいや。お父さんとお母さんのこと忘れなきゃいいんだもんね」
「ナイスポジティブシンキング。それでこそまひるちゃん」
「というわけであたし帰りたい」
「そう?じゃあ」

 ぼす。

「…ぼす?」
「ぼす」
 まひるたちの体を支えていた雲に穴が空いた。と言うには穴があまりに大きすぎるので、雲が消えたというほうが的確だ。
「い………っ!」
 悲鳴をあげつつまひるの体は落ちていった…。

 +++

「………んー……」
 頭の中がまだ寝ている。ぶんぶん振って無理矢理に起こすと、父さんと母さんが心配そうにまひるの顔を覗き込んでいるのに気がついた。
「まひる、大丈夫?」
「………うん」
「ああ、よかった…お隣の蒲原さんが連れてきてくださったのよ、道に倒れてたんですって」
 あれは夢だったのだろうか?と疑問に思いつつ、まひるは決意を口にした。
「お父さん、お母さん、あたし伯母さん家いくよ」
「まひる……!」
 父さんと母さんは一瞬虚をつかれたような顔をして、
「…なんのこと?」
 ほんとうに虚をつかれていた。
「な、なんのことって、お父さんたち伯母さんに弱み握られててあたしを養子にくれっていわれてたんじゃ」
「…まひる、何をどう勘違いしてるのか知らないけど…たとえ弱みを握られてたって、脅されてたって、 母さんたちまひるをよその人にやったりしないわ…あなたは、わたしたちのたった一人の大事な娘なんだから」
 まひるの目に見る見る涙がたまっていく。母さんはそんなまひるをそっと抱きしめた。父さんはまひるの頭をそっとなでる。
 涙腺緩みまくりのまひるは、そのまましばらく泣き続けた。

 +++

「うらはらさん」
「何ぞや」
「なにかしたでしょ」
「まさか。ただ単にまひるちゃんがどえらい勘違いしてただけだよ」
 そう、養子うんぬんの話は完全にまひるの早合点だった。伯母さんが養子がどうしたこうしたと言っていたのは、 まひるの母さんに『自分たちは養子縁組をするべきなのか』という相談をしていただけで、 たまたまその話の流れの中で『まひるちゃんみたいないい子が来てくれればいいけど』と伯母さんが言っただけだった。 「まひるを宜しく」は単にまひるが聞き違えただけ(「まひるを良く言ってくださってありがとうございます」だった)。 伯母さんからの電話で母さんの顔がこわばったのはいい加減うんざりしていたから(毎日電話してきていた)。 完璧にまひるの一人相撲。ちなみに母さんがやつれたのは無理なダイエット。
「…まあ、そのことはもういいや。それでね、あたし、決めたの」
「何を」
「ソライロスイッチの謎が解けるまであたしこの店手伝う」
「はい?」
「だから店手伝う。バイトする」
「バイトってまひるちゃん中学生でしょうよ」
「……………あたし、高校生」
「嘘」
「本当。華の十六歳」
「俺と九つしか違わないのか…!」
「えっ、嘘」
「本当。俺ぁ男盛りの二十五」
「もっとオジサンかと思ってた………!」
「シツレイな」

 +++

 こうしてあたしはソライロスイッチを手伝うことになったわけなんだけど、唯一の客が店員になってしまったこの店の行く末を蒲原さんは全く考えてなかった。 というかあたしが唯一の客だったってことも忘れていただろう。
 それでも、この店はそれなりに呑気に続いていく。

 なんたって空への道がすぐそばにあるのだから。

 +++

「空にいたる道は
 すぐそこ、
 そう
 貴方のすぐとなり。
 さみしいとき
 くるしいとき
 きっと見えてくる。」



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