Act 1: A Angel who calls Death 


『運命に逆らった子』『大衆の犠牲になった少女』『掟に縛られる巫女姫』『魔物に魂を売った娘』『半心』…
 リサキの呼び名は、比較的穏やかなものから侮蔑的なものまで枚挙にいとまがないが、この街に住むだいたいの人間はこう答える。

『死を呼ぶ天使』

 もちろん、教会の司祭の娘であり神聖なる巫女のリサキに、面と向かってそう言う者はいない。
 けれどその付き人となれば、話は別だ。

 ++

「久々の休暇はどうだったかね?アルム」
「最低でした」
 司祭に向かってぶっきらぼうに答えるアルム。
 司祭である。
 曲がりなりにもこの教会、ひいてはこの街で一番偉い人物である。
 そんな人物を相手にここまでぶっきらぼうに接するというのは失礼の極みであるが、彼…アルムのことをよく知る司祭は特に咎めもしない。
「ほう?何故だい」
「…街中、皆、勝手です」
「どのように」
「…自分たちの安穏とした暮らしは、全て五年前にリサキがした事の上に成り立っているのに…皆はそのリサキを化け物と恐れ、恨む」

 五年前。この街は壊滅しかけた。
 正体不明の怪物に襲撃を受けたのだ。
 当時、街で一二を争うと言われていた術者達ですら、太刀打ち出来なかった謎の魔物。
 それに単身立ち向かったのが、司祭の娘…当時まだ十歳のリサキだ。

「…確かにあの子は、この街を救った。けれど…あれを倒した後に、風牙がしたことはまた別なんだよ。リサキは、風牙を止めることが出来なかった。自分で呼び出した『使い魔』を御すことが出来ないのなら、術者としては失格だ」

 五年前。怪物の猛攻は留まるところを知らず、そしてもはや自分の他に戦える者は居ないと悟ったリサキは、永い間禁断とされ封じられてきた『使い魔』風牙の召喚を試みたのだ。
 風牙の召喚が永い間禁断とされてきたのには、一つの理由がある。
 それは、召喚するだけでかなりの力を必要とする、ということだ。力量の足りぬ者なら命さえ落としかねない危険な術を、いくら司祭の娘の巫女とはいえ、十歳の少女が成功させたのである。
 その異常なまでの才覚に街の者が怯えるのも、当然といえば当然なのだが、彼らがアルムに向ける態度は怯えから来ているのではない。本当の理由は別のところにあるのだ。

「風牙をこの街の救い主として称えなければならないとしよう。風牙に大切な人を殺された人々は、怒りや悲しみをどこに向ければいい?」

 そう。
 リサキは、怪物を倒してなお暴れまわる風牙を止めることが出来なかったのだ。

「リサキにも、立場上そう簡単に怒りを向けるわけにはいかないから、どんどん憎しみは溜まっていく…たとえリサキが身を呈して風牙を封じた張本人であっても」

 今まで風牙が封印されていた魔石に再び封じてもよかった。けれど、リサキにも他の誰にも、そんなことをするだけの力はもはや残っていなかったのだ。
『…これは私がしたことです…私がケリをつけます』
 そう言って、他の者が止めるのにも構わず、リサキは風牙を自身の体内に封じた。
 自らの正気と引き替えに。
 結果だけを見れば、彼女は『死神』と呼ばれてもおかしくはなかった。それでも天使と呼ばれるのは、この街を救ったのもまた彼女であるということを、誰もが忘れたわけではないのだ。
 アルムも、それは分かっているつもりだった。

「…だからね。我々に彼らを戒めることは、出来ないんだ」

 我々も共犯のようなものだからね…。
 悲しげな司祭の顔が、そう告げていた。

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 この街には『大聖堂』がある。
 文字通りの教会でもあったけれど、もう一つの顔があった。
 それは、この地に古くから根付く、使い魔を御す事の出来る術者の集う組織。
 必要に応じて使い魔を召喚し、手に負えないほどの使い魔は封印し、彼らの歴史はこの地に根付いてきた。

 ++

「…あ、あるむ」
 アルムが部屋に入ると、一人の少女が心の底から嬉しそうに駆け寄ってきた。
 十五歳の身体に不釣り合いな、小さな子供のような無邪気な笑顔。純粋すぎるほどの瞳、例えるなら生まれたての赤ん坊のような。
 彼女の名はリサキ。
「りさきね、おしろつくったの」
 指さす先を見ると、確かに積み木がうずたかく積まれている一角があった。お城、とはあれのことであろう。
「…上手に、できたな」
 一週間ぶりに見た彼女は、やはり何も変わらないままだった。五年間ずっとこのままだったのだから、当たり前ではあるが。
「あるむもいっしょにおしろつくろうよ」

 風牙をその身に封じた事で起こった、彼女の変化。
 …彼女の精神は五年前に幼児期まで退行し、それきり成長することを忘れている。

「…それもいいけど、今日はすごく天気がいいから…。散歩に行かないか?」
「あるむといっしょならいくー」



 どうして一緒に居るんだと聞かれると返事に詰まる。
 自分は別に彼女に恩があるわけではないから。
 むしろあるとすれば恨みだ。
 心無い人はきっと言っているのだろう。
 いつか復讐を果たすためだと。
 そのために常に傍にいるのだと。
 勝手に言っていればいいと思う。
 そうではないのだから。
 だから答えに詰まる。
 恨んでいるから一緒に居るわけではない、そのことは判るのだが。



 可愛らしい声に名前を呼ばれて、はっと気付く。つい考えごとに没頭してしまっていたらしい。
「…ごめん、何?」
「たんぽぽ」
「…ああ、本当だ…。今年は早いな」
「たんぽぽはきれい」
「そうだな」
「でもね、りさきはわたげのほうがすきなの」
「どうして?」
「わたげのほうがいっしょうけんめいだから」
「へえ…。…あ、そこに綿毛になってるのがあるよ」
 その時。
 風もないのに綿毛が揺らいだ。
「…?」
 同時に背後に微かな人の気配を感じ、振り向いたアルムの目に旅姿をした一人の女が映った。
「すみません、大聖堂はどちらでしょう」
「この道を真っ直ぐです」
「まっすぐー」
 女はリサキに向かって微笑んだ。
「ありがとう…巫女姫様」
 ヒュッ。
「…ぁ…」
 女の手刀を首筋に食らったリサキが倒れるのと、女が次なる攻撃に移ったのと、アルムが動いたのとはほぼ同時だった。
 アルムは女の手刀をすんでのところで体をひねってかわす。
「貴様、一体」
「言うわけないでしょう?…ね、護衛役さん」
「なんだ」
「この街に幻術使いは居ないのかしら」
「そんなこと知るか」
「いいえ、居ないわ…分かるわよ。どうしてって顔してるわね?…それはね、あなたが後ろに全く注意を払っていないから」
「!」
 ようやくその可能性に気付いたアルムは振り返ったけれど、女…正確には、アルムの背後でまさに攻撃を繰り出そうとしているその分身のほうがやや速かった。
「貴様…幻術使い、か…」
「そのとおり」
 薄い笑いを浮かべながらこちらを見おろす女の顔が少しずつ薄らいでいき、アルムの意識は闇に掻き消えた。


    Intermission:Dream of the past 


 夢を見ていた。
 燃えさかる家の中で、アルムは倒れている。
 目の前ではほんの数分前まで母だったモノが炭になろうとしていた。
 彼女はアルムを庇って家の下敷きになったのだ。
 アルムは母だったモノが燃えるのをただじっと眺めていた。そうしなければ自分も今すぐに燃えてしまいそうな気がした。
 実際彼の背中は半ば燃えていたのだけど。
 しばらくして助けが来て、引きずりだされて見た空は目にしみるほど青くて、大蛇がのた打ち回っていた。
 あれがここをこんなふうにしたのだと誰かに耳打ちされた。
 アルムは助かったけれども、その背中には大きな引きつれたあとが残った。
 あの時の蛇みたいだ。
 アルムはそう思った。

 きっと母が死に行く様を何もせずただじっと見つめていた罰なんだ。
 彼はそう思った。
 そうしなければ自分は狂ってしまいそうだったから。
 そして、護衛する事になった、少女を…



 息苦しさに、アルムは眼を覚ました。自分の腕が自身をしっかりと抱きしめていることに気付く。
 朝はまだ遠かった。