『ソライロスイッチ Returns』 


「蒲原さん!うらはらさん!起きろー!うーらーはーらーさーん!起きろっ!蒲原っ!」
「……はい、こちら『ミドリイロスイッチ』………」
「『ソライロスイッチ』でしょ!?寝ぼけてないでとっとと起きてよ、真っ昼間から鼻ちょうちんまで出してのんきに寝てんじゃなーい!」
「シツレイな俺は昼間であるにもかかわらず布団一式を綺麗にセッティングしてきちんと礼儀作法にのっとりエレガンスかつ真面目に昼寝を」
「……あっそ。残念だなー、せっかくお昼にピザ作ったから蒲原さんにもわけてあげようと思」
「すわマルゲリータ!?」
「残念ながらトマトとサラミの普通のピザ」
「まひるちゃんオイラにもぜひお恵みを」
「昼間であるにもかかわらず布団一式を綺麗にセッティングしてきちんと礼儀作法にのっとりエレガンスかつ真面目に昼寝をしてるんじゃなかったの?」
「冷静になってよくよく考えてみるとやはり俺のように前途有望な若人が昼間から寝ていてはいかんと思うのだよ」
「…。まあいいや、ピザのおすそ分けもそうなんだけど、来てるの、」
「アンゴルモア大王が?」
「来るわけあるかあ! …お客さん」
「は」
「入口で待ってもらってるから、もうさっさと起きてよ」

 *

 うちはソライロ屋、その名も『ソライロスイッチ』よく間違われるが『』も店名の一部だ。 売り物はひたすら水色もとい空色の雑貨、我ながらよくここまで集めたものだとほれぼれしてしまうくらいひたすら水色。もとい空色。 こんな特色ありまくりの店でもなぜかそれなりに繁盛していて、日に平均5人くらいは客が来る。これは予想外の人数で、面倒なので会員制はやめた。 店主は俺、店員は栗色おさげ髪を2本たらした、隣の家の童顔な女の子がひとり(バイトだ)。

 どうも夢を見ていたらしい。内容は覚えていないが、どことなく懐かしい匂いを漂わせながらまとわりついてくる夢の残滓を振り払うように、  適当に顔を洗って店に出る。入口からは噂の客と思しき初老の男がまひるに案内されて入ってくるところだった。
「いらっしゃい、何お探しで…」
 客の顔が目に入って、そこで思わず足が止まる。言葉が続かない。嘘だ違うあり得ない。7年前に終わってしまったはずの、
「…じいさん…!?」

 それはとても甘美な、夢の続きだ。

 *

「いらっしゃい、何お探しで…」
 せっかく起きてきた蒲原が何故かカウンターのあたりで固まってしまった。視線はまひるを素通りして、初老の男性客の顔面を見つめて完全に停止している。
「…蒲原さん?」
 いぶかしげなまひるの言葉にも返事がない。と、呆然とした様子で蒲原が口を開いた。
「…じいさん…!?」
「…じいさん、って」
 確かに今ここにいる客はじいさんだけれど、それにしてもあまりにシツレイだ。
「ちょっと蒲原さんどうしちゃったの、お客さんだよ」
 頬を遠慮なくびしびしとひっぱたくと、蒲原は夢から醒めたような顔をしてまひるを見た。
「……あれ?まひるちゃん」
「あれじゃないよ、もう」老人のほうに向き直り営業スマイル200%、
「今日はどんなものをお探しですか?」
「孫の誕生日プレゼントを探しに来たんだがね」さすがは年の功というべきなのか、店主である蒲原の失礼千万な言動にも全く動じることなくにこやかにまひるの質問に答える老人。
「お嬢さんくらいの女の子なんだけれど、何がいいのかよく分からなくてね。何かおすすめのものでもあったら見せてもらえるかな」
「わかりました。…これなんてどうですか?」
 自分の外見が歳相応(17歳になったところ)に見えてはいないだろうことを十分考慮に入れた上で万が一歳相応に見えている場合にも備え、 (老人の孫はたぶん13歳くらいだろう)濃い空色の地に雲が描かれている模様のポーチをすすめてみる。 まひるが一人で勝手に実施した市場調査によればこの柄の小物は中学三年生つまり15歳くらいの女の子に特に人気があったはず。

 幸いすすめたポーチは老人から見た彼の孫の好みにあっていたらしく、きれいに包装されたそれを持って今日はじめての客は帰っていった。
「お気をつけてー」
 外まで出て老人を見送ったまひるが店の中に戻ってきても蒲原はカウンターのあたりに心ここにあらずといった様子で突っ立っていた。

 *

 今のじいさんは孫にプレゼントを買いにきたと言った。あのくそじじいは若いころ泣かせた女が秘密で子供を産んでいたりしない限り俺と同じで天涯孤独の身だった。はずだ。 だから違う。あのじいさんはじいさんではない。俺は今更何を言っているんだ、そんなのは地球が丸いのと同じくらい当たり前で、 地球が太陽系第三惑星であることと同じくらい分かりきったことのはずだ。本当に何を今更、蟻が地中に巣を掘って集団生活をするのと同じくらい当たり前で、 蟻が昆虫だということと同じくらい分かりきったことのはずで俺は何を今更
「蒲原さん?」
 そんなふうに頭蓋骨の内側はぐるぐる同じところを回りつづけていたから、まひるが顔を覗き込んできたとき正直驚いた。心臓飛び出して死ぬかと思った。心臓飛び出したら死因は一体何に
「蒲原さん!」
「! …ああまひるちゃん、どうしたの」
「どうしたのじゃないよ。蒲原さん今日いつにも増してヘンだよ」
 その言葉にはお前は普段からもヘンなのだが今日は特にヘンである、というニュアンスが込められていたが、正直そんなところに突っ込むどころではなかった。ぎくりとした。
「…シツレイな、いつも通りですよ」
「嘘」大きい瞳でじろりとこちらを睨みつけるまひる。
「さっきのおじいさんが来てから絶対ヘン。…ううん、起きてからずっと。ぼーっとして、なんか昔を懐かしがってるっていうか」
 再びぎくりとした。ぎくりとしてから、ぎくりとする自分を不思議に思った。昔を懐かしがる?この俺が?
「そういえば」たたみかけるようにまひるは続ける、「蒲原さんって、ここに来る前はどこで何してたのかとかそういう過去のこと、一回だって質問に答えてくれたことも教えてくれたこともないよね。いつもさっきみたいに笑ってごまかして終わり」
「…それは、その、まひるちゃん」
「それはじゃないよ」
「…ごまかしてなんて、俺は別に」
「じゃあ教えてよ。蒲原さん昔はどこでどういうことしてたのか、今すぐ教えてよ」
「…それは、だから」
「ほら、やっぱりごまかしてる!」
 言っているうちに感情が高ぶってきたらしいまひるは凄まじい勢いでまくし立てはじめた。「蒲原さんいっつもそう、何聞いてもまともに答えてくれないで、子供だと思ってごまかして、隠し事ばっかり!」
 肩で息をして目には涙もにじんでいるまひるを見る。その目はひょっとしたら異世界の何かを見るような目だったかもしれない。自分の事は俺にはなにひとつわからない。
「まひるちゃん」
 これは本当にこの喉から出た声なんだろうか。自分でもぞっとするくらい冷たい声なのが分かった。
「まひるちゃんにも、知られたくないことの一つや二つ、あるだろ」
 まひるは下唇をきゅっと噛んで、うつむいて黙り込んでしまった。あーあ泣かせちゃった、脳のどこか今の自分とは切り離されているようなところが囁く。だって仕方ない、他にどう言えばよかったんだ。
「…あたしは」
 まひるがぽつりと口を開いた。
「おととしまでサンタがほんとにいると思ってた。誰にも知られたくないけど、でも今蒲原さんには教えた」きっと蒲原をにらみつけて、
「あたしは蒲原さんから見たらちっちゃい子供かもしれない。あたしが知られたくないことなんて蒲原さんの知られたくないことよりずっとずっとちっぽけなどうでもいいことかもしれないけど、だけど同じ『知られたくないこと』だよっ」
 吐き捨てるようにそれだけ言うと、まひるはぷいっと屋根裏部屋に引っ込んでしまった。

 ***

 あれからまひるは一度も下りて来ず、ずっと屋根裏部屋のすみっこで膝を抱えている。 三回くらい声をかけに行ったものの、三回ともみごとに無視された。そういえばピザのおすそわけはどうなったんだろう、そんなことを考えているこの脳味噌に自分で呆れかえる。 今は他にもっと考えることがあるだろう。
 西向きの窓から差し込んできた夕日が長い影を落としている。タイムリミットはまひるが帰る日暮れまでだとはじめから分かっていたものの、重い腰はあがらない。 いつもならとりあえずじじいのせいにするところだが、今現在のこれはどう考えても自分のせいだ。そろそろ行動を起こさなければ、きっと明日からまひるはここへ来なくなる。 しかし行動を起こせば、今度はこちらがまひると顔を合わせられなくなるに違いない。

 なぜだろう。

 ふと頭に浮かんだ疑問符が気になり始める。行動を起こすとなぜまひると顔を合わせられなくなるんだ。自分のことを知られるのが怖いのだろうか。 というか俺の過去はそんなに知られると恥ずかしい過去なのか。
 そう考えると今まで悶々と悩んでいたことがバカバカしく思えてきて腹が立ってくる。思考はどんどん前向きに変化していく。 どちらにしても今までのようにはいられなくなるのなら、ここから離れていくまひるを見送るより自分から離れていった方が少しはましだ。 そう、受動的に生きるより能動的に生きるほうが俺には性に合っているんだ!
 多少よく分からない方法で腹をくくり、重い腰をあげた蒲原は屋根裏部屋へと続く階段を上っていく。

 *

 まひるはぼんやりと考えていた。なんであたしさっきあんなに腹が立ったんだろう。蒲原さんが何も教えてくれないのなんていつものことなのに。
「…言いすぎたかな…」
 知られたくないことがあるのはよく分かるし、分かっていたつもりだし、だからこそ笑ってごまかされても我慢していたのだ。今までは。我慢できていたはずだった。
「…はぁ」
 何度目だかわからないため息をついたとき、階段を上がってくる音がしてまひるは体を硬くする。 もう明日から来なくていいとか言われたらどうしよう、さっきから蒲原が来るたびにそんなことばかり考えてじっと床の一点だけをにらみ、口をつぐんでいた。

 もうじき日が暮れて、日が暮れたら帰らないといけなくて、そしてこのまま帰ったらもうどうにもならなくなってしまうとよく分かっていたけれど、 まひるにはそれ以外にどうにもできなかった。

 *

「まひるちゃん」
 夕日が差して朱色に染まった屋根裏部屋で、まひるはあいかわらずすみっこにちぢこまっていた。 さっきまでは声をかけて無視されて諦めて階下に戻るコンボが成立していたが、今度はそうは行かない。蒲原はまひるの隣に腰をおろした。
「俺って腰重いじゃん」
 返事はない。呆れているのか、それとも。出来る限りそんなことは気にしないようにしながら続ける。
「でも昔はそんなでもなかったのさ。…長い話になるけど、適当に聞いてよ」
 そんなふうにやる気のない前置きをしてから蒲原は話し始める。思い出すことを拒んでいた思い出を。

「なんか知らないけど俺親っていなくてさ、いやもちろん生まれたときは少なくとも母親はいたんだろうけど。それで何ていうか、家って言うとちょっと違うようなとこで育ったんだよ」
 いきなりものすごい内容がまるで他の誰かの身の上話であるかのように蒲原の口からすべり出してくる。 まひるはぎょっとして隣に座るややむさくるしい横顔を見たけれど、蒲原の眼はどこか遠くにある別の何かを見ているようで、隣にまひるがいることさえ忘れてしまっているかのようだった。
「でも何でだかそういうのあんまり不思議にも悲しくも思わなくてさ。普通に中学卒業して普通に高校行ったんだけど、 なんていうか俺のいるところじゃないなと思って一日で辞めちゃって、…それで家にもいづらくなって、高校辞めた日の夜中にこっそり抜け出してさ。もう10年経つね」
 10年間そこに帰ったことは一回もないんだろうか。そう思ったけれど、話に割り込むのがためらわれて、まひるは黙って話を聞きつづけた。
「しばらくあっちこっちふらふらして、行くところもないし金もないしで困ってきたとき、道ばたで屋台出して『夢いらんかねー』とかって言ってるじいさんと会ったんだ」
 懐かしむように蒲原は眼を細めた。
「最初なんだこの怪しいじじいって思ったんだけどさ。そのじいさんがなんていうか、ソライロスイッチみたいな謎技術の持ち主で、 俺そういうの好きだったしちょうど行くところも金もなくて困ってたところだったから弟子入りしたんだ。 弟子入りって言ってもあのじじい師匠面してえらそうにするばっかりだったからさ、どっちかって言うと雑用係みたいな感じでいいように使われてただけで、 だからああいう技術を覚えられたのは半分以上は俺の才能なわけだけど、でもなんか…やっぱ、何だろう、そういうのってそれまで持ってなかったから、…うまく言えないけど」

 生まれてはじめて「家族」ができて、
 嬉しかったんだ。

「三年ぐらい一緒にあちこち回っていろいろやったよ。それである日突然お前はもう一人でもやっていけるなとかって言い出してさ、何だ一体とかって思ってたらじいさん倒れたんだ」
 今思うとああいうのが『死期を悟った』って言うのか。
「あわてて病院に連れてったら、頭蓋骨の中で出血してるって言われてさ、何か頭を強く打つようなことはなかったかって。 そういえば倒れる三日くらい前にバナナの皮よけようとして転んだんだよ。このじじいろくな死に方しないだろうなとは思ってたけど、 まさかあそこまでろくでもない死に方するとは思わなかった、バナナの皮踏んでじゃなくバナナの皮よけようとして転んでんだよ?  …それでもう意識が回復する見込みはないとか言われたのに、ちょっとしてから一瞬だけ奇跡的に目覚ましたんだけど、 そのときに、最期に奇跡的に目が覚めた今際の際なそのときに『滅多なことがない限り腰を上げてはいかんぞ』とかって言ったんだよ。 それ以来俺の腰はまるで呪われたかのごとく重くなったのでした、ていうかあのくそじじい最期に何を訳の判らない遺言残してんだって。もうちょっと他に言うべきことあるだろって」
「…もういいよ」
 ずっと黙って聞いていたまひるがぽつりと口を開いた。
「もういいよ、…もういいよ蒲原さん、もういいから、そんな…そんなふうに話さなくっていいから…」
 まひるの声は震えていた。不審に思ってまひるの方を見るが、目がかすんでよく見えない。そうかもう日が暮れてしまったのか、そう思う間にも視界はどんどん悪くなっていく。
「あたしもう帰る、だから、…ごめんなさいっ」
「まひるちゃん」
 慌てて立ち上がり手を伸ばす。が、まひるが走り出ていくほうが少しだけ早かった。ああやっぱり駄目だったか、って何が駄目なんだ、 そんなことを考えながら行き場をなくした手を見ているとどこからか水滴が立て続けに降ってきて、
「…あれ」

 自分が泣いていることに、蒲原は初めて気がついた。